日本の危機……そのとき、「象徴」が動いた! 「平成の天皇 -上皇明仁物語-」第8話公開中

平成の天皇陛下を描く、初めての学習まんが平成の天皇 —上皇明仁物語読売KODOMO新聞で連載中)が、WEBで限定無料公開中です!

今回のテーマは「東日本大震災」。2011年3月11日に発生した大災害です。

平成の天皇は、大きな災害のときには、現地の事情が許す限り急いで現地へ見舞いに行かれました。そして被災者をお見舞いし、救援の人々に感謝のことばを述べられます。

しかし、東日本大震災はあまりにも巨大な大災害でした。

平成の天皇は、そのとき天皇として、歴史上初めてのことを行ったのでした。

それは…

ビデオメッセージでした。

天皇が直接国民に語りかけるのは、非常に珍しいことです。

平成の天皇の父である昭和天皇は、かつてラジオ(当時はまだテレビはなかった)を通じて国民にメッセージを伝えたことがありました。昭和20年8月15日の戦争の終結を告げるラジオ放送「玉音放送」です。

平成の天皇は、東日本大震災を戦争に匹敵するような国の運命を左右する大きなできごとだと考えました。そして、歴史上かつてなかった、ビデオによるメッセージを国民に向けて送られたのです。

ビデオメッセージを送ることを決めたのは地震発生の4日後。そして決定の翌日にはもう放送するという早技でした。

メッセージは効果絶大でした。おだやかな声で語られる陛下のていねいなことばは、多くの人々の恐怖と不安を鎮め、落ち着きを取り戻す助けになったのでした。

象徴である天皇は、政治に関わることはできません。避難を助けることも、放射能を除染することもできません。しかし、人々をはげますこと、人々の気持ちがつながるよう呼びかけることはできるのです。

「日本国の象徴」、そして「日本国民統合の象徴」である天皇だからこそできたことでした。

このあと、陛下は被災地を見舞う旅に出かけられます。東北と関東、一都六県の被災地と被災者の避難所を毎週連続して日帰りで往復する、ハードな旅でした。

このとき陛下は77歳。体力をすり減らす厳しい旅のせいか、その秋、陛下は体調を崩されてしまいました。

では、どうするか。「公務を大幅に減らす」、これも答えのひとつだったでしょう。しかし陛下はそうしませんでした。

自ら進んで心臓バイパス形成手術という大手術を受け、翌年の震災一周年行事に出席できるよう努力されたのでした。

両陛下と東日本大震災については、多くのエピソードがあります。とてもすべてを書き切ることはできませんでした。ここでは、まんがに入らなかったいくつかのエピソードをご紹介します。

【その1 計画停電を分かち合う】

震災と原発事故によって東京電力の管区内では電力が不足し、「計画停電」が実施されました。地区ごとに時間を決めて電気の供給を止めるのです。国民生活は大きな影響を受けることになりました。

皇居のある東京都千代田区は、重要な官公庁があることなどから計画停電の対象となりませんでした。しかし陛下は、「国民の困難を分かち合いたい」というお気持ちから自主的に計画停電することを決意し、近隣地区の計画停電の時間には、御所での電気の使用をやめられたのです。

【その2 野菜をおみやげに】

原発事故により発生した放射能汚染で、汚染度の高い地域からは農作物が出荷できなくなりました。さらに、汚染地区の近隣の農作物も、科学的には安全とされていても消費者から敬遠され、売れなくなってしまいました。「風評被害」です。

両陛下は風評被害を心配され、福島県に行かれた時には県産の野菜を召し上がりました。また、みやげとしてイチゴやブロッコリーを3箱購入され、1箱は御所に持ち帰り、あとは皇太子家と秋篠宮家へ届けられました。

このことが報道され、風評被害を少しでも和らげる助けとなるとともに、農家へのはげましとなりました。

【その3 御用邸を活用する】

皇室の静養地である那須御用邸は福島県にも近い。避難所として活用できないだろうか……両陛下の提案でした。

関係者が検討した結果、御用邸は夏に使うために作られた施設なので暖房設備がなく、3月に使うことは難しいとわかりましたが、御用邸内の温泉は活用可能でした。近県から多くの避難者が御用邸を訪れ、温泉を利用しました。

【その4 バスの窓は閉めない】

岩手県を訪問された時のことです。陛下の一行は自衛隊のマイクロバスで釜石市の避難所を訪れました。バスの最前列に座る両陛下は、沿道で手を振る人々を見ると、手を振り返すためにバスの左右に移動されます。

窓から冷たい風が入ってくるため、陛下の身体を気遣って、同行していた県知事が窓を閉めようとしました。すると陛下は振り返り、「開けておいてください」とおっしゃったのでした。

【その5 追悼式は和服で】

震災の翌年に行われた東日本大震災一周年追悼式。まんがで描かれているように、上皇后陛下は和服で出席されました。これは異例のことでした。いつもなら、上皇后陛下はこのような行事では洋装の喪服を着られるのです。

この時、上皇陛下は心臓の手術を受けられた直後で、体調が万全ではありませんでした。万が一、儀式の最中に陛下が立ちづらくなられたとき、横にいるご自身がとっさに支えるためにはヒールのある靴よりも草履(ぞうり)のほうが良いと考えられ、和装にされたのです。

さまざまなエピソードから、大災害にあたっての両陛下の強い決意と覚悟が伝わってきます。さらに興味のある人は、何冊も本が出ていますので、ぜひ読んでみてください。

さて、現在読売KODOMO新聞で掲載中の「平成の天皇」は、第9話「皇室の今日と明日」です。上皇陛下の家族、つまり「皇族」の方々を紹介します。令和の時代には、皇室のありかたが大きく変わるかもしれません。未来の皇室について、あなたも考えてみませんか。

 

「平成の天皇 ー上皇明仁物語ー」 
シナリオ/祓川学 まんが/てしろぎたかし 
読売KODOMO新聞で好評連載中!

(C)てしろぎたかし・祓川学/小学館

 

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