1925(大正14)年〜1938(昭和13)年: 『セウガク一年生』創成期

1922(大正11)年の『小學六年生』を皮切りに、1924(大正13)年までの間に『小學五年生』『小學四年生』そして『せうがく三年生』と、次々に学習雑誌を創刊してきた小学館。ついに1925年3月、『セウガク二年生』と『セウガク一年生』が発行され、全学年の学習雑誌が揃いました。

また、小学館の学習雑誌のトレードマークである勉強マークも登場。まさに学習雑誌の原点が凝縮された時代です。

1925年1926年1927年1929年1931年

1933年 1934年1935年1937年1938年

1925(大正14)年 8月号
『セウガク一年生』創刊。全学年の学習雑誌が揃う

この年の3月に『セウガク二年生』4月号、『セウガク一年生』4月号が創刊され、学習雑誌の学年はすべて揃いました。

「せうがく」と「セウガク」の表記はそれぞれ学習進度に応じた表記です。

世の中のできごと

●エジプト・王家の谷でツタンカーメンの王墓が発見される。

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1925(大正14)年 11月号
副題が「学習本位模範カタカナ雑誌」に改められる

タイトルの上には「学習指導研究会編輯」と書かれています。また、8月号ではタイトル下の副題は「趣味と学習模範カタカナ雑誌」とありましたが、11月号では「学習本位模範カタカナ雑誌」に改められています。

世の中のできごと

●チャールズ・チャップリン「黄金狂時代」が公開開始。

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1926(大正15)年 12月号
表紙の定番は男の子と女の子の二人組

前年号と同じように男の子と女の子が描かれていますが、男の子がニット帽のようなかわいらしい帽子をかぶっている点が興味深く思われます。

世の中のできごと

●川端康成が「伊豆の踊子」を発表。

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1927(昭和2)年 5月号
小学館のトレードマーク「勉強マーク」はあらわされず

この年に、小学館のトレードマークともいえる勉強マークが『小学二年生」『小学三年生」『小学六年生』の表紙に登場しますが、『小学一年生』にはまだあらわされていません。

世の中のできごと

●チャールズ・リンドバーグが大西洋の単独無着陸飛行に成功。

●栄養菓子グリコがおもちゃつきでの発売を開始、大ヒットに。

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1929(昭和4)年 8月号
小学館の学習雑誌のトレードマーク「勉強マーク」登場

勉強マークが『小学一年生』にも登場し、青色と白色で描かれている点は現在のものと大きく異なります。

勉強マークをつけた理由は、小学館から学習雑誌が創刊されて以降、同類の雑誌が多く販売されていたことから、一目で区別できるようにするためです。創業者の相賀武夫氏による発案です。

世の中のできごと

●ウォール街大暴落がおこる。世界恐慌の引き金に。

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1931(昭和6)年 9月号
勉強マークに赤字で「東京小学館発行」と記載

勉強マークが青と白で描かれている点は、以前のものと同じですが、その下に新たに赤字で「東京小学館発行」という文言を加えています。

世の中のできごと

●ニューヨーク・マンハッタン島にエンパイア・ステート・ビルディングが完成。

●『少年倶楽部』誌上にて田河水泡が漫画「のらくろ」を連載開始。

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1933(昭和8)年 11月号
勉強マークの色が赤と黄色になって新登場

今日の勉強マークに近い赤と黄色で描かれたものが登場します。マークの下には「小学館発行」という表記がされています。

世の中のできごと

●ヨーヨーが大流行

●「東京音頭」がレコード化され発売、大流行に。

●三陸地方大地震

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1934(昭和9)年 8月号
水着姿の子どもの姿がいきいきと描かれる

学習雑誌の8月号の表紙にはやはり季節がら、水泳の帽子をかぶり、水着のこどもの姿が圧倒的に多くみられます。

こどもが丈夫なからだをつくるためには、水練(水泳によって体をきたえること)が重要とされていたのでしょう。

世の中のできごと

●満州国にて溥儀が皇帝となる。

●ベーブ・ルースらが米大リーグ選抜チームとして来日。

●室戸台風が上陸

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1935(昭和10)年 1月号
学習雑誌、100万部の発行を目標に掲げる

この年の正月、創業者の相賀武夫氏が年頭のあいさつにて、学習雑誌の発行を100万部突破させることを目標としました。

それによって、読み物には婦人雑誌などで母親にも人気のある吉川英治、菊池寛、川端康成ら流行していた作家に執筆を依頼するようになりました。

世の中のできごと

●築地市場が開場

●第1回目の芥川賞と直木賞が発表される。

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1937(昭和12)年 11月号
目標2年目にして発行部数100万部を突破

この年の正月号では、低学年の発行部数は各学年、平均15万部を超えるに至り、読者も当時の満州、中国、東南アジア、ハワイ、北米、南米までに拡大していました。学習雑誌の発行部数、100万部突破という2年前の目標が達成された記念すべき年となりました。

また、この年の2月には日本と中国との戦争がはじまり、本誌の表紙に描かれた男の子が兵隊の姿であることは、まさに戦争の始まりを示しているかのようです。

世の中のできごと

●パリ万国博覧会開幕

●ヘレン・ケラー来日

●後楽園球場が開場

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1938(昭和13)年 12月号
日中戦争の影響が出版業界にも。深刻な紙不足に

この年、新聞や雑誌、書籍の作成に欠かせない用紙を制限する法令が出されました。外国からの輸入に頼っていた紙の材料となるパルプが、日本国内で底を尽いてきたため、紙の値段が高くなったことが原因です。

学習雑誌も紙の質が悪くなり、ページ数が減らされ、サイズが小さくされるなど、以後影響を受けることになります。

世の中のできごと

●国家総動員法公布

●小学館の初代社長・相賀武夫死去

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このころの表紙はタイトルをはじめ、見出しなども横書きの文字は右から左へ書く「右横書き」でした。このかたちは1946(昭和21)年までつづきます。また、当時の定番だった「男の子と女の子の二人組」は、学習雑誌の表紙の基本として長く引き継がれていきました。

 

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