日中戦争から太平洋戦争へと突入すると、雑誌づくりを取り巻く環境はますます厳しいものになっていきました。
また、タイトルが『セウガク一年生』から『コクミン一年生』、さらに『良い子の友』へとたびたび改められたのもこのころです。
1947(昭和22)年3月に学校教育法が制定されると、タイトルは初めてすべて漢字の『小學一年生』となりました。
1939年| 1940年|1941年|1942年|1943年|
1944年|1946年 |1947年|1948年|1949年|1952年
1939(昭和14)年 3月号
表紙に日本の国旗が描かれ、軍事色が強く
軍隊の飛行機が空を飛んでいるのを笑顔で見上げるこどもの姿が描かれています。
世の中のできごと
●米国でミュージカル映画「オズの魔法使い」が公開。
●毎日新聞社機ニッポンが世界一周飛行に成功。
1940(昭和15)年 10月号
出版統制による紙不足のなか部数は大幅増
用紙が制限される逆境にあったにもかかわらず、本誌の売り上げ部数は昨年の正月号が19万8400部であったのにくらべ、25万800部と増えています。
内容としては、当時の日本政府に配慮した文化事業を取り上げるなど、政府の求めに応じている点も助けとなり、発禁処分にされることはありませんでした。
世の中のできごと
●「贅沢は敵だ!」の看板が東京に設置され始める。
●敵性語(英語)が追放され始める。
1941(昭和16)年 2月号
『セウガク一年生』から『コクミン一年生』に改名
この年、国民学校令が政府より発令されたため、それまで6歳から12歳までのこどもたちが通っていた尋常小学校は、国民学校と名称が改められました。
天皇のために、こどもたちも国民として戦争に向けて、一致団結することを教えられていました。
それに合わせて誌名も『コクミン一年生』となりました。(←サイトにある文章)
世の中のできごと
●東条英機が内閣総理大臣となる。
●日本軍、真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まる。
1942(昭和17)年 1月号
紙不足による雑誌統合で『良い子の友』と改名
この年、用紙の不足などが原因となり、新聞や雑誌などの出版物をチェックする警視庁の検閲課によって雑誌の統合が進められました。
本誌の翌月号から、『コクミン一年生』は、『コクミン二年生』と統合され、『良い子の友』になりました。また、勉強マークの下にあった「小学館発行」という文言がみられなくなりました。
世の中のできごと
●アンネ・フランクが隠れ家にて日記をつけ始める。
●ミッドウェー海戦が始まる。
1943(昭和18)年 1月号
勉強マークが黄色と赤から白黒に
『コクミン一年生』『コクミン二年生』が統合されたものですが、1~3年生向けの学習雑誌です。2年前から経済の困窮によって、食料のお米が配給制になり、ぜいたくが禁止されるような状況にありました。
そのような状況から本誌の勉強マークも白黒で、表紙全体のイメージもどこか落ち着いた地味なものとなっています。
世の中のできごと
●東京府が東京都になる。
●大東亜共同宣言が発表される。
1944(昭和19)年 9月号
表紙に兵隊が描かれ、勉強マークが消える
それまで、こどもの姿のみが描かれていた学習雑誌の表紙ですが、本誌では珍しく、大人の兵隊も描かれています。こども達も立派な兵隊になれるよう教育がなされてきたことがあらわされています。
ぜいたくを禁止する風潮からか、この頃から小学館の学習雑誌をひときわ目立たせる勉強マークはその姿を消します。
世の中のできごと
●東京で初の疎開命令が出される。
●東南海地震の発生。
1946(昭和21)年 4月号
戦後、ローマ字のタイトルが併記される
終戦後、この年の紙の生産高は戦前の7分の1に過ぎず、深刻な用紙不足の状況にありました。戦争によって壊滅的な打撃を受けた紙の生産工場の復興に時間を要したためです。
まずは『コクミン一年生』『こくみん二年生』のみが復刊されました。敗戦後、日本に置かれたアメリカ軍のGHQの検閲に配慮してか、タイトルにローマ字の表記が添えられています。表紙も戦時中のものとかけ離れた通学するこどもたちの平和な絵になっています。
世の中のできごと
●「NHKのど自慢」が放送開始
●現在のソニーの前身である「東京通信工業」が創業。
●現代かなづかいが告示される。
1947(昭和22)年 6月号
『コクミン一年生』から『小學一年生』に改名
この年の3月に「学校教育法」が定められ、4月から国民学校は小学校と改められ、タイトルも『小學一年生』とされました。また、この年の12月に『小学四年生』が復刊されます。
世の中のできごと
●日本の国鳥がキジに決まる。
●学校教育法が公布される。
●浅間山が爆発
1948(昭和23)年 1月号
小学館の社員章「ヒヨコのマーク」が表紙に登場
本誌には勉強マークはみられませんが、表紙右下には地球の上に卵から生まれたヒヨコのマークが描かれています。これは大正15(1926)年の8月に定められた小学館の社員章です。
小学館の「小」の字を図案化したもので、ひよこががっしりと地球を踏まえた姿は、創業者の相賀武夫氏の口癖であったといわれる「世界の小学館」をイメージしたものとされています。
世の中のできごと
●日本初のサマータイムが実施される。
●この年「斜陽」がベストセラーとなった太宰治、玉川上水で入水自殺。
●本田技研工業が設立される。
1949(昭和24)年 8月号
表紙に「勉強マーク」が復活、色彩も鮮やかに
昭和19(1944)年にその姿を消した勉強マークが再び登場し、表紙の色合いも鮮やかになりました。前年の3月から『小学五年生』、『小学六年生』も復刊し、学習雑誌の復興もこのころにはめどが立っていたようにみえます。
世の中のできごと
●湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞(ノーベル物理学賞)。
●「サザエさん」の連載が朝日新聞夕刊で開始
●谷崎潤一郎「細雪」がベストセラーに
1952(昭和27)年 5月号
創業30周年。三大記念事業の開催を発表する
この年、小学館は創業30年周年を祝って、全発行雑誌を通じて三大記念事業「万国こどもまつり」の開催、「小学館児童文化賞」の制定、「全国児童生徒作品コンクール」の開催を発表しました。
とりわけ、「全国児童生徒作品コンクール」は、学習雑誌上で募集を行い、図画・作文の二種の応募作品を学年別に審査し、表彰するコンクールでした。当時としては画期的な催しであり、多彩な才能をもつこどもたちの育成がなされていたことがうかがえます。
世の中のできごと
●英国でエリザベス二世が即位。
●十勝沖地震が発生。
●永谷園が「お茶漬け海苔」を発売。
●「アンネ・フランクの日記」が刊行される。
●「鉄腕アトム」が連載開始。
戦争中は紙などの資材の調達が困難をきわめ、贅沢も排除されていきました。そんな苦境にありながらも、子どものための雑誌づくりへの情熱の火は消えることがありませんでした。
戦争が終わると、戦後復興への盛り上がりをあらわすかのように、『小學一年生』の表紙にも子どものキラキラした笑顔が戻ってきました。