「もはや戦後ではない」という言葉が象徴するように、日本経済は世界に類を見ない加速度的なスピードで発展を遂げていきました。人々はプロ野球や映画や漫画などの娯楽を楽しみ、これまでにない豊かさを実感していました。
1954(昭和29)年に第一次ベビーブームの子どもたち255万人が小学校に入学すると、『小学一年生』の発行部数は過去最高を記録しました。
1954年| 1955年|1957年|1959年|1960年|1962年
1954(昭和29)年 1月号
ベビーブーマーが小学生に。発行部数60万部突破
戦後、すぐのベビーブームで生まれたこどもたちが入学するこの年、新入学児童は255万人に上りました。『小学一年生』の発行部数は60万部を突破し、過去最高の記録を打ち立てました。
世の中のできごと
●日本初の国際プロレスリング大会が開催。
●第五福竜丸事件。
●自衛隊発足。
●「ゴジラ」第1作が公開。
1955(昭和30)年 5月号
小学一年生の作文集が増刊号として発行される
3年前に始まった「全国児童生徒作品コンクール」において作文の部門が好評を博したことことから、この年の1月号の増刊号として小学一年生の作文集が発行されました。
世の中のできごと
●「ぺんてるくれよん」発売開始。
●後楽園ゆうえんちが開園。
●カリフォルニアでディズニーランドが開園。
●高度経済成長のきざしが見え始める
1957(昭和32)年 1月号
雑誌サイズがB5判に大きくなる
前年の12月に創刊された2~4歳児向けの絵本雑誌、『よいこ』にあわせて、本誌及び、『小学二年生』『小学三年生』の1月号から、他社の学習雑誌の傾向に合わせてB5判のサイズに変わりました。
大判になったため、目立ちやすくさらにさらに競争力が増しました。
世の中のできごと
●日本の南極越冬隊が南極大陸に初上陸。
●世界最小のトランジスタラジオが発売される。
●日本初のモノレールが運行開始。
1959(昭和34)年 5月号
岩戸景気のなか、プロ野球や漫画の人気が高まる
この年、『週刊少年サンデー』が「プロ野球オールスター集」を付録として創刊されました。当時、「岩戸景気」とよばれる戦後最高の好景気が訪れ、日本は高度経済成長期の真っただ中にありました。
娯楽として漫画が流行する基礎が当時できあがりつつあり、後の学習雑誌にもこの風潮が大きな影響を与えることになります。
世の中のできごと
●キューバ革命がおこる。
●NHK教育テレビの放送が始まる。
●「ザ・ピーナッツ」がデビュー。
●アメリカでバービー人形が発売開始される。
●今上天皇と美智子様がご成婚。
(2019年4月30日に退位されますがこのまま記載しますか?退位とともに「平成天皇」としますか?)
1960(昭和35)年 7月号
テレビのカラー放送がスタート
この年、カラーテレビの本放送が開始され、豊かな社会へ向けてのステップが踏み出されていました。本誌の表紙には、読売ジャイアンツのユニホームを着用したこどもが描かれています。
このユニホームはカラーテレビ用として新調された夏用のユニホームです。赤色を使用していることは当時のユニホームとしては派手であり、評判があまり良くなかったと伝えられています。
当時のこどもたちの間で野球の人気が高かったことがうかがえます。
世の中のできごと
●日米間で新安保条約が調印される。
●チリ地震発生。日本でも津波の被害があった。
●「所得倍増計画」が発表され、流行語になる。
1962(昭和37年) 4月号
学習雑誌の発行部数、上昇つづく
この年の小学校への新入学児童数は、ベビーブーム世代の8年前の児童数の約60パーセントに減少しましたが、学習雑誌は発行部数も減少することなく、上昇を続けました。
当時、義務教育の教科書が無償化され、テレビの受信契約者も1000万人に達するなど、豊かな社会の形成が着実に進んでいました。
世の中のできごと
●東京都の人口が1,000万人を突破。
●東京・水道橋に後楽園ホールがオープン。
●ザ・ビートルズがレコードデビュー。
●橋幸夫&吉永小百合「いつでも夢を」が大ヒット。
小学館では1956(昭和31)年に『よいこ』、1958(昭和33)年に『めばえ』が発行され、子ども向けの雑誌はさらなる拡充が図られました。また、他社の学習雑誌も立ち上がり、競争が激化します。
子ども雑誌への期待が高まるなか、『小学一年生』の表紙では絵のインパクトだけでなく、より豪華になった付録をアピールするなど、競合誌との差別化を意識した作りに変わりつつありました。