5.卒業
撮影・文/片野田 斉
【前回の記事】●4.復興の長い道
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「大海にのぞむ陸中の 朝日に港 明けてゆく」
宮古市民歌に合わせて、卒業生が田老第一小学校の体育館に入場した。
今日は前田九児(きゅうじ)くんと濵崎陽世(ひとき)くんの卒業式。ひときわ背が高い九児くんは緊張気味に陽世くんの前を行進する。大人びた表情の陽世くんは落ち着いているようだ。着席すると卒業証書授与がはじまった。
一人一人の名前が呼ばれ舞台に上がり、田中校長から卒業証書を受け取る。何度もリハーサルを重ねたようで二人とも堂々としたものだ。証書をうけとると舞台を降り、会場後方に向かう。
前田恵美さんが白い布がかかる机の前に立ち九児くんを待ち受ける。その目には光るものがある。九児くんは一礼し卒業証書を母親に渡した。卒業生を送る在校生の中には父親を津波で失った女の子もいた。
6年前、同じ体育館で行われた入学式での2人の姿が重なる。あどけない顔に緊張と不安が入り混じり複雑な表情をしていた九児くんと陽世くん。しみじみと6年の歳月を想う。
変わり果てた自宅を訪れた時の九児くんの悲しそうな顔、大きなランドセルを背負って照れ臭そうに仮設住宅から学校までのスクールバスに乗り込む陽世くん。学校のマラソンで一位二位でゴールし抱き合った二人。
地域の野球チームに入り、九児くんはキャッチャー、陽世くんはショートを守った。しかし中学年になるにつれてカメラを嫌がるようになった。
仮設住宅に雪が降った時に、ある小学生たちに雪を投げつけられたことがある。「金儲けのために写真とってるんだろう」と吐き捨てて駆けていった。
アリーナに届いた支援物資の布団の上を飛び回っていたジャイアンに似たやんちゃな小学四年生を夏に訪ねると、作り笑いはしてくれたが元気がない。仮設住宅に移ってからこもりがちになり、ゲームばかりしているという。短く刈った髪にはところどころに白髪が見えた。翌年正月の書き初めでジャイアンは「人生」と書いた。
九児くん陽世くんも私に対して口には出さなかったがさまざまな葛藤があったに違いない。今では普通に挨拶をしてくれるが、私のことを快く思ってなかった時期もあった。
式が終わり6年前に撮らせてもらった正門で同じように2人を撮影させてもらった。ファインダーの中には早く写真を終わらせてくれと言わんばかりの、もうすぐ中学生になる少年たちがいた。
九児くんの母親恵美さんは、薪ストーブで暖められた真新しい家の居間でこの6年間を振り返る。震災直後の避難所になったアリーナを懐かしんで「私は洗濯が一番大変だった」と笑った。
「6年経って、私は本当にありがたいなって思います。被災してアリーナにいる間は飲ませ食わせしてもらったでしょ。電化製品から何から何まで全部、支援していただいて。服も全国から届いた中から好きなもの選んで、新しいのをいただいたり。
仮設に移ってからの食料調達は自分でしたけど、明治、昭和の大津波がきたときは、自分たちで小屋を建て、全部自分たちでなんとかしてきたことを思えばね……」
「子供たちは前の家が突然なくなったことも深く考えていないんじゃない。好きなおもちゃがなくなったことも特に気に病んでないと思いますよ。小さかったから。でも新しい家を建てる時には昔の家を思い出しました。子供たちも、ああだったよね、こうだったよねと。
九児と3歳だった三四郎もところどころおぼえている。子供たちは、あれだけはとっておきたかったというものは、ないみたい。踏ん切りがついているというか、仕方がないというか、それを言ったところでね。父ちゃんはいまだに言ってるけど。ビートルズとかが好きでレコードも結構もっていた。それも全部ね」
そんな父・宏紀さんに、自衛隊に入った長男の壮吉くんは2015年4月に行われたポール・マッカートニー武道館コンサートのチケットをプレゼントした。ビートルズ初来日から49年ぶりに日本武道館に立つ記念すべき公演だ。
宏紀さんは宮古から夜行バスに乗り早朝に浜松町につきそのまま武道館に並んだ。4万円の席は2階席の一番上、ステージの真横だった。ポールの姿はとても小さく時々振り向くがほとんどオーロラビジョンを見るようだったが「すごく、本当によかったですね」と目を輝かす。
しかし22時発宮古行きのバスに乗るために最後の曲の前に会場を後にした。一泊もしない弾丸ツアーだった。コンサートに行こうという気持ちの余裕ができたのは「心の復興」だといった。
恵美さんはさらに言った。
「新しい家ができて市街にもどり、小学校も中学校も歩いて通えます。新しい道路に歩道もきちんとできて、田老の町を人が歩いている。それが復興のきざしです。特に子供たちが何人か連れ立って歩いているのを見ると、すごく嬉しくなるんです。以前は大きなトラックが走るからこわかったし、誰も歩いていなかった。他のお母さんたちも、『いいよねー』って」 子供たちの姿、それは復興そのものなのだ。
陽世くんの母親濵崎さゆりさんは、賃貸の市営アパートに引っ越した。
「仮設住宅にいる間、ふだんは普通に生活をおくっているんですけど、ふと、なんで私はここにいるんだろうと思うことがあって。ゴミ捨てにいったときとか、ここはどこなんだろう、私はなぜ自宅にいないんだろう、なんでここにいるのかなと。
夜、外に出て周りの景色を見ても、宙に浮いているというか。あまりにも生活が急変したので自分でも理解できなかったのかもしれない。現実なんだけど、夢のような、ずっとそんな感じで過ごしてきたのかな」
田老は未だ復興の途上だ。今もまだ仮設住宅に住んでいる人もいる。しかし皆、田老がいいという。住みやすい、人がいい、魚介類、特にウニ、アワビ、ワカメが豊富だ。山も川にも大自然がある。
私もその魅力にとりつかれ通い続けた。これからも、雪を投げつけられようと、カメラにそっぽを向かれようと、「津波太郎」の街で生きていくことを決意した人々の姿を、ずっと見続けていくつもりだ。
復興はきっと一直線ではないだろう。踊り場で止まったり、迷路に迷い込んだりすることもあるかもしれない。夢と現実を行きつ戻りつするのかもしれない。それは人の成長と同じだ。
九児くんと陽世くん。二人の成長と、田老の復興と、そして二人と田老のかかわりあいと、そのすべてを私はずっと見続けていきたい。
おわり
<前田家の6年間>
2011年4月
2012年2月
2013年3月
2014年2月
2015年2月
2016年3月
2017年1月
片野田 斉(かたのだ ひとし):
報道写真家。1960年生まれ。明治学院大学卒業後、週刊誌、月刊総合誌を中心に活躍。
2001年9月11日の米国同時多発テロ事件に衝撃をうけイスラマバードへ。以降パキスタン、アフガニスタン、パレスチナ、イラク、北朝鮮などを次々に取材。ニューヨークに拠点を置く世界的写真通信社「Polaris Images」メンバー。
東日本大震災では長く現地取材を継続し、2012年には「東日本大震災記録写真展『日本!天晴れ!』」を5ヶ月半にわたって東京で開催。
著書に、元ハンセン病患者を長期取材した「生きるって、楽しくって」(2012年、クラッセ)、児童書「きみ江さん:ハンセン病を生きて」(2015年、偕成社)、「中国(世界のともだち)」(2015年、偕成社)など。