日本テレビのアナウンサーを経て、現在はフリーアナウンサーとして、また「魚住式スピーチメソッド」を立ち上げ話し方を磨くための指導を行っている魚住りえさん。
子どもの頃のこと、話し方の極意などについてうかがったインタビューを、3回にわたってお届けします。
1回目は、3歳からピアノ漬けの毎日を過ごしてきた魚住さんが、ピアノをやめて新たな道に進むまでの日々のお話です。
■「私に当てて!」と祈っていた国語の時間
子どもの頃から音にすごく敏感でした。3歳の頃からピアノを習っていたので、それで耳を鍛えられていたのかもしれません。
素敵な文章に出会うと、その耳心地のよい音の流れにわあっと感動して、声に出して読みたくなってしまうんです。読むのが大好きだったので、小学生の時は、国語の朗読が得意でした。「私が読みたい! 当ててくれ!」って先生に心の中で祈ってましたね(笑)。
それから、授業で習ったちょっとした詩とかを家に帰って、読んで母に聞いてもらうっていうのをよくやってました。「今日はこういうの習ったんじゃ」って広島弁で。
音楽も同じで、習った曲を歌ってみせたりとか。今思うと、この頃から声で表現するのが好きだったみたいです。母は台所に立って忙しそうにしてましたが、小さい子が一生懸命大きな声を出して読んでいるのは嬉しかったんじゃないかな。私が演者で、母はお客さんみたいな感じでした。
■物心ついた頃からピアノ漬け 遊ぶ時間はなし
母はピアノ教師だったんです。7つ上の姉と一緒にピアノを習っていたのですが、ものすごいスパルタで、毎日3〜5時間は練習してました。
学校から帰ったらとにかくピアノで、友だちと遊んだり、自由にテレビを観たりという時間もほとんどなかったです。いつも母が横に座って見ている状態でピアノを弾いて、「そうじゃない!」とか怒られたりしてました。
ピアノは好きだったんですけど、技術を学ぶため、ベーシックな型を入れるためにはものすごい訓練が必要なんですよね。人に聞かせられるレベルになるまでの練習は本当に大変でした。
■ピアニストになった姉、限界を感じた私
姉とは競争のようにやらされていましたが、姉は優秀なんですよ! 今はピアニストとして活躍しているほどなので。私はコンクールに出場してもやっと入賞するくらいなのですが、姉はさらっと優勝したり、特待生に選ばれてブリュッセルにピアノ留学したり、すごいエリートだったんです。
私は全然芽が出なくて限界を感じていたのと、もうやれるだけのことはやりきったという気持ちで、とうとう高校2年のときに、他のことをやりたい、させてほしいと母に言ってピアノをやめました。
その時は勇気がいりましたね。母は驚いてました。「まさかそんなにイヤだったなんて」って。ピアノを弾くということが当たり前で空気のような存在だったので、習慣になってたというか、やめるってことが思い浮かばないくらいだったのかもしれません。
魚住りえさんの最新刊『たった1分で会話が弾み、印象まで良くなる聞く力の教科書』(東洋経済新報社)が好評発売中です。
5万部突破のベストセラー!どんな「聞き方」をすれば、人に好かれ、会話が盛り上がるのか?ポイントは「あいづち」「質問力」「態度・しぐさ」の3つ。「よくいる困った人」や、「苦手な場面」も驚くほど簡単な50のコツで乗り切れます。誰でも今日から「聞き上手」になれる、プロアナウンサーがこっそりやっている全スキルを1冊にまとめました。
【関連記事】
魚住りえ(うおずみ・りえ):
1972年、大阪府出身。広島で育つ。95年、日本テレビにアナウンサーとして入社し一躍看板アナに。現在は約25年にわたるアナウンスメント技術を生かし、スピーチデザイナー、ボイスデザイナーとして活躍中。
撮影/タナカヨシトモ ヘアメーク/畑野和代 取材・文/川辺美奈子