世界的指揮者・佐渡裕さん。
世界中の名だたる楽団から指揮のオファーが殺到している佐渡さんは、どんな少年だったのでしょうか。
少年時代や、ベルリン・フィルハーモニーの舞台に立つ夢を追い続けたエピソードなど、語っていただきました。
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■とっさに作った「ピアノ協奏曲 ゾウのおなら」でピンチを脱出!
ぼくの母が声楽家だったので、音楽が身近にある環境で育ちました。母にピアノを教わっていて物心ついたときには鍵盤を触っていましたが、母が厳しくてピアノはあまり好きになれなかったですね。
その後、別の先生のところへピアノを習いに行ったんですが、この方がとてもいい先生だったんです。でもピアノはやっぱり好きじゃなかった。
今でも覚えているのが、小学3年生の頃、練習をしないでレッスンに行ったことがあったんです。本当は、習っていた曲を暗譜(楽譜を見ないで演奏する)してこなければいけなかったんですが、当然弾けない。
「ゆうちゃん、何してたの?」って先生に言われて、とっさに出た言い訳が「作曲してた」。先生は呆れつつ、ちょっとおもしろがって「どんな曲作ったの? 弾いて」って。そこで「ピアノ協奏曲 ゾウのおなら」って答えて、ピアノの鍵盤に、ただお尻で座って、ブオーンって鳴らすだけという…(笑)。
確かその頃、『小学二年生』の付録についていたレコードみたいなソノシートに「ゾウのおなら」っていうのがあって、本物のゾウのおならが聴けたんです。それが頭の片隅にあったんですね。先生は呆れて何も言わず…。何とかピンチを切り抜けたのですが、あのときの自分のひらめきには神が降りてきた! と思いました(笑)。
■子どもの頃から一人で演奏会へ
ピアノは好きになれませんでしたが、音楽は大好きだったので親に連れられてよく演奏会にも行ってました。小学5年生の頃には、一人で行くようになってました。当時ぼくは、少年合唱団に入って いたんです。
合唱団の先生のすすめで初めて一人で観に行ったのが、 ドン・コサック合唱団っていう、男性コーラスの演奏会でした。その合唱にものすごく感動しましたね。それがきっかけで、演奏会のおもしろさにはまりました。
その後、京都市交響楽団の定期会員になって毎月聴きに行ってましたが、たまに涙が出るような「すごい瞬間」を味わえる演奏会があるんです。ぼくの音楽体験の中で、これはとても大事な幸福の基準になりました。
今、たくさんの仕事をする中で、自分の感情を消して作業しなきゃいけない面もあるんです。だけど、音楽が好きで、自分の体の細胞全部が音楽に向かっていってるあの快感、幸せだったあの感覚を、失いたくない。小5のときの感覚は、音楽をやる上での、ぼくの原点なんです。