ゲラゲラ笑えるようなナンセンスな絵本と、平和を考えるようなまじめな絵本のどちらも数多く作り出してきた絵本作家・長谷川義史さん。
長谷川さんの、絵本作家としてのルーツを伺いました。
ぴっかぴかえほん
『おならまんざい』
作/長谷川義史
2017年10月4日発売・小学館刊
■絵を描くことの基本精神は小学校の先生から教わった
子どもの頃から絵ばかり描いてました。絵を描いて、友だちに見せるのが好きだったんです。見せて、ほめられたり喜んでもらったり、似顔絵とか描いて笑わせたり…。
絵を通してコミュニケーションというか、反応が返ってくる、それが楽しかったんです。僕が今やってる、絵本描いたり絵本ライブやったり、ということも、まったく一緒ですね(笑)。
小学校では、5、6年生のときの担任の先生との出会いが大きかったです。図画工作を通して、「考えて物事に取り組む」ってことを教えてくれた方です。
写実的にきれいに描きなさいっていうようなやり方じゃなくて、見て感じたものを紙に表現しなさいっていう。「目先のことをちまちま計算して生きていくもんじゃない」っていう生き方まで、絵を通してその先生から教えてもらったと思っています。
■「早く会社を辞めなさい」と言われて絵本作家に
ずっと絵を描く仕事をしたいな、と思ってたんですけど、美大にも受からず、しょうがないから就職したんです。看板のデザインをする会社や、グラフィックデザインの事務所で働きました。でもやっぱり絵を描きたいと思って、仕事をしながら副業で絵を描いてたんです。
そんな中、うちの嫁はんと出会って結婚したんですけど、結婚してすぐに嫁はんが「早く会社を辞めなさい」って言うんです。普通は結婚したら安定した仕事しろ、って言うもんでしょ? でも「会社辞めて、絵一本でやっていけ」って言われたんです。
僕ひとりだったら、よう飛び込まんかったと思うんやけど、嫁はんにそう言ってもらって、フリーになりやっていくことになりました。 そのあと、絵を見た編集者の方が「絵本を描きませんか」って言ってくれて、デビューにつながるんです。
実はイラストを描いている頃から、「自分の思っていることを絵にする絵本っていうのはなんてかっこええんや」と思って憧れてました。だから絵本ができただけで喜んでたんですけど、しばらくすると、読んでくれた人から感想が返ってくるんですよ。
なんて素晴らしい世界なんや、と思いました。そのあと何冊か描いていくうちにますます、こんな素晴らしい仕事なんだ、とあらためて思って、自覚を持って。「僕は絵本を描く絵本作家です」って名乗ろうと思いました。
■必要に迫られて作り上げた「絵本ライブ」
僕は、お客さんの前で絵本を読んだり、歌を歌ったり、その場で絵を描いたりする「絵本ライブ」というものもたくさんやってます。
これも、絵本作家になりたくてなれたわけじゃないのと一緒で、絵本ライブしようと思ってやり始めたんじゃないんですよ。最初は講演会だったんですけど、僕は子どもも入場OKにしたんです。
でも、やってみたら、子どもは話なんてとても聞いてくれない(笑)。絵本読んだって2〜3冊読んだらすぐダラ〜としちゃう。この子どもたちを飽きさせずにやるためにはどうすればいいんだろう、と考えたんです。
ウクレレが弾けるから歌を歌ったら間がもつかな、とか、その場で絵を描いたら興味を引けるだろうなとか、必要に迫られて工夫していって今の絵本ライブの形になっていきました。
ほんまに計画立ててやったんじゃなくて、一所懸命やってたらいつのまにか…っていうことばかりですよ。なんか「計算して生きていくもんじゃない」って教えられたことに繋がってるような気がしますね。
■子どもは遊びを通して、考えることが身についていく
子どもはやっぱ、遊んでないと大人になってからダメですよ。遊びの中から、感受性ができて、ものを見て考えるということが身についていく。
僕、絵本作ってて出てくるものは、子どものときの遊びからばっかりですよ。知識だけでは生きていかれへんですからね。
今はバーチャルなものがあふれているからなおさら、肌身で感じる遊びをしたほうが、体も脳も育っていくと思いますよ。
(撮影/平林直己 取材・文/渡辺朗典)
Profile・はせがわ よしふみ
1961年、大阪府出身。『おじいちゃんのおじいちゃんのおじちやんのおじいちゃん』(BL出版)で絵本デビュー。ユーモラスでおおらかな長谷川ワールドを次々と作り出す。『ぼくがラーメンたべてるとき』(教育画劇)で日本絵本賞と第57回小学館児童出版文化賞など受賞多数。絵本ライブなどを全国各地で開催中。
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