野球に打ち込む少年たちを描いた大ヒット作品『バッテリー』をはじめ、思春期の子どもたちを鮮やかに描き出す小説家のあさのあつこさん。小学生限定の新人公募文学賞「12歳の文学賞」の審査員も務めていらっしゃいます。
あさのあつこさんが小さな温泉町で生まれ育った頃は、子どもの数も多かった時代です。近所にはたくさんの同級生がいて、外で元気に遊ぶことも多かったのだとか。
多くの読者に支持される登場人物たちを生み出す感性を育んだ子ども時代とは、どんなものだったのでしょうか。
■大人の世界に忍び込んだゾクゾク感が、小説を書くことに活きている
私が生まれ育ったところでは、近くに置屋さんやヌード劇場、飲み屋さんなど、子どもの好奇心をかきたてるようなお店があり、そこに潜り込んだりしていました。芸者のお姉さんが三味線の稽古をしているところやダンサーのお姉さんが振り付けをしているところを見たりして。
ヌード劇場は昼間は閉まってるのですが、たまにドアが開いているときがあって。そういうときに忍び込むんです。何が行われている場所なのかは、1年生だからわからないんですけど、大人に禁じられた場所であることは分かるんですよね。
暗くて湿っぽくて、ちょっとエッチな感じもある独特の空気を吸いながら「今、秘密の場所にいる」と思うゾクゾク感は、今でもまだ残っていて、小説を書くうえで元になっているところでもあるんです。
学校がすぐそばだったので学校も遊び場でした。
当時、バドミントンが流行ったときがあって。田んぼや川、原っぱもあったせいか赤とんぼがいっぱいいたんですが、そのとんぼの群れの中でバドミントンをしたり。
フラフープも流行っていましたねぇ。流行ったと言えば、ダッコちゃん人形。友だちがいち早く買ってもらっていて、すごくうらやましいと思ったのを覚えています。
■守られるだけでなく、少しずつ大人の階段を上っていることを実感
授業中の思い出というと、1年生のころはお道具があって、それを使うのが楽しかったことかしら。おはじきや色鉛筆を使うことが楽しみだったんですね。勉強が楽しかったという思い出はあまりないですね。好きではなかったんだと思います(笑)。
学校の先生は怖いというか畏れ多い存在でした。幼稚園の先生のように一緒にお遊びしたり守るだけとは違って、大人として私たちとちゃんと向かい合ってくれていた気がします。
小学1年生というと、出会うものすべてが新しくて。いやーなこともありましたけど、幼稚園とは違って自分が大きくなっていると実感できた気がします。たとえば当時はダルマストーブで石炭のストーブだったんですが、その石炭を運ぶようになったり、給食の配膳をするようになったり。
守られて保護されるだけじゃなくて、少しずつ大人の階段を上っていると具体的に教えてくれたのが小学校だったような気がします。
■苦手だった給食 嫌いなものをこっそり持ち帰ったことも
ちなみに学校で嫌だったのが給食。嫌いなもの、いっぱいあったんですけど、いちばん嫌いだったのが脱脂粉乳。すごくにおいがしてそれがダメで。もう涙が出るほど嫌でしたね。
でも低カロリーで栄養価が高いから、最近はダイエット食として再評価されているようですね。娘が作って飲んでいたときがあって「げー!」と思って。「それってわざわざ買うもの?」って。
時代って変わるもんだな、と思ったのですが(笑)。ほかにもクジラの竜田揚げや固〜い鶏肉が入った炒め物とか。食べられないものがいっぱいあって、給食の時間はつらかったですね。
うちは裕福ではなかったんですけど、祖母が小さなで食堂を営んでいて、食べるものだけはけっこう贅沢だったんです。高度成長期にさしかかるころで、そこまで世の中の食事が豊かではなかったのですが、当時から鶏ガラからちゃんととったスープやステーキふうのお肉とか本格的な丼物を食べさせてもらっていたんです。
それもあって、給食だけは……。学年が上がって厳しい先生になってからは空のお弁当箱を持って行って、そこにこっそり詰めて持ち帰ったりしていました。隣の子がそれを先生に言いつけて、ものすごい怒られたんですけどね(笑)
第2回は近日公開予定です。お楽しみに。
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あさのあつこ:
1954年、岡山県出身。
『ほたる館物語』でデビュー。『バッテリー』で小学館児童出版文化賞受賞。小学生限定の新人公募文学賞「12歳の文学賞」の審査員を第一回目から務めている。