都内某所で2019年2月に行われた小学館主催の児童書のイベントに、糸井重里さんが登壇しました。
糸井重里さんが文章を書いた絵本『ちきゅうちゃん』(キューライス・絵)が3月20日に、翻訳した絵本『チャレンジミッケ!10 まほうとふしぎのくに』(ウォルター・ウィック/作)が4月24日ごろに発売になります。
それぞれの本についてのお話や、子どもへの想いなどを語ってくださいました。
■1年生になる時の気持ちってどんなかな?
糸井さんと小学館とのつながりといえば、矢沢永吉さんの『成りあがり』(糸井さんは構成と編集を担当)、『こう生きるのが正しい!ー糸井重里のオトナ相談室』という人生相談本。糸井さんの作ったゲーム『MOTHER』の公式攻略本などなど。
中でも印象的なのが、糸井さんが詩を、日比野克彦さんが絵と立体作品を担当した『おめでとうの一年生』(1989年)。この本は、小学館の学習雑誌『小学一年生』で1983年から不定期連載していたのをまとめたものです。
そして今年2019年、『小学一年生』の4月号で久しぶりに糸井さんに詩を書いていただいています。
『おめでとうの一年生』を連載していた当時は、自分の子どもが小学生に上がるという時期だったので「今だったら小学一年生に向けた詩を書けるかも知れない」と思ってお引き受けしたんですよね。
今回、久しぶりに『小学一年生』の人たちとお仕事をさせて頂くことになり「何かやりませんか?」と言われたんですが、ちょうど娘に子どもが生まれたので、また気持ちが初々しくなって「1年生になる時の気持ちってどんなかな?」ということが思い出せるようになったんです。
それでやらせてもらうことになりました。
同じ属性の人が沢山集まっている状況って、世の中、あんまりないんだけど、一年生の教室って一年生ばっかり集まってるじゃないですか。その感じを書きたいなと思ったんですよね。
それ、一年生自身は気付いていないんですよ。外から見るとすっごく面白い景色なんですけど。
詩といえば最近、和歌に興味があるんです。
僕の会社で「ほぼ日の学校」というのをやっていて、その中で『万葉集』の講座をやっていまして。
昔から残っている歌のことを学ぶと、改めて言葉の力とか、「保ち」の良さに気付かされるんですよね。
現代語に訳しちゃうと何てことないことを歌っているんですけど、訳したんじゃ分からない「何か」が言葉にはあるんですよね。極端に言えば呪文に近いような力が。建物は朽ちても言葉は朽ちないですからね。
作ったものが時を超えて残っていく。そういうことを年取ったらやってみたいなって思っていて、引退したら作詞家になりたいと思いはじめたところです(笑)。
これまで作詞してきた歌も、頼まれるから作ってきたんです。
作りたくて仕方がないなんて気持ちは半分くらいしかない。誰からも頼まれなければ何もしないですから。受動的な人間なんですよ、実は。
でも、いよいよある年齢になったら、自分から人に迷惑かけてみたいという気持ちになってきましたね。「自分が作った歌を歌え」っていうのは迷惑なことでしょ。
老人のわがままで、「まだこの歌、残ってたね」というものを作ってみたいと今は思っています。
■子どもって案外さびしくてつらいものなんだ
ちきゅうちゃんは、「ほぼ日刊イトイ新聞」で作っている「ほぼ日のアースボール」という地球儀からうまれたキャクターです。
文は糸井重里さん、絵はキューライスさんが担当して、『小学一年生』2018年12月号の巻頭付録として絵本を作ったのですが、今回、付録の時から文も絵も大幅増量して、改めて『ちきゅうちゃん』の絵本が出版されます。
不思議なキャラクター・ちきゅうちゃんは、どうやって生まれたのでしょうか?
昔の漫画によく、酔っぱらったお父さんが寿司の折り詰めを持って「ただいま〜」って帰ってくるようなシーンがありましたけど、アレ、憧れだったんです。
普段接していないものを、親の気まぐれで外から持ち込まれるということが、家の中をすごく面白くするなって。そういう絵本を作りたくてはじめたんですね。
『ちきゅうちゃん』では、お父さんが「こんなのがいた」って、ちきゅうちゃんを捕まえてきちゃうんですけど、そうしたら、持ってこられちゃったちきゅうちゃんの気持ちの方が気になってきて。
一言もしゃべらない主人公なんですけど、一言もしゃべらないままに、相手をしている子どもとか、親とか近所の人たちの気持ちが変化していくじゃないですか。
ページをめくっていった時に、そういう気持ちを楽しめるような絵本があったら、退屈してお母さんに本を読んでもらっている子どもが「こういうの、来ないかなー?」って考えると思ったんですよ。
この絵本では最後ズルをしていまして、絵本なんですけど、文字しかないページを作りました。
「好きでいればいいんじゃない?」
このフレーズが浮かんで嬉しくなっちゃったんですね。これは絵を付けない方がいいだろうと。
「人が人に何をしてやれるだろう?」っていうのは、まさしく時代のテーマでもあると思うんですけど、そこで「好きでいればいいんじゃない?」と言われた時の安心感とか、ドンと来る気持ちというか。
日本中でこの絵本を読み聞かせをしていて、このページにたどりついた時に、そんな気持ちになってもらえたら、ぼくとしては愉快犯のような気持ちになれるかなって思っています。
子どもって、天真爛漫で自由でのびのびしていると思われがちですけど、ぼくはそうは思えないんです。
子どもの頃の方が自由じゃなかったし、不安があったし。子ども時代ってすごく楽しかったこともいっぱいあるんだけど、ひとりになった時にはすごくさびしくてつらいものだっていうイメージがあるんですね。
だから大人になってからも、「子どもって案外さびしくてつらいものなんだ」という認識のもとに、子どもの相手をする大人が必要なんじゃないかなと考えています。
漫画家さんの気持ちに近いかも知れない。
現実にはドラえもんはいないのに、ドラえもんを藤子・F・不二雄先生が描くと子どもたちは癒されるじゃないですか。
表現で慰撫してもらってやっとバランスが取れるのかなって思うんで、その役を僕も引き受けようかなと思っています。
■「影の部分」の表現を子どもに見せてあげる
大人気のさがしっこ絵本『ミッケ!』では、糸井さんに翻訳を担当してもらっています。
アメリカ版の原作である『I SPY』に『ミッケ!』というタイトルをつけてくれたのも糸井さんなんです。
子どもと一緒になって、大人も夢中になってしまう不思議な絵本『ミッケ!』の最新作『チャレンジミッケ! まほうと ふしぎの くに』は、初の日本オリジナル版となっています。
ぼくは『ミッケ!』の翻訳をしていますけど、夜中にひとりで見ていて、見つからないとイヤなんだよね(笑)。
一応、答えを教えてくれているんですけど、それでも「ええっ、そんなことないだろう」っていうこともあって。
『ミッケ!』って、怖い物とクレイジーなものと、そのふたつが隠れていて、ただ明るく楽しいっていうだけじゃないところがシリーズの隠れた特徴だと思うんですよね。
ディズニーの世界なんかにも共通するんだけど「明るい夢の国」っていうだけじゃないものがあるから、何度でも観たくなる深さがあるんだと思うんですよ。
それは作者であるウォルター・ウィックさんの個性なんだと思います。
やっぱり「影の部分」の表現を子どもに見せてあげるっていうのはすごくいいことだと思うんで。
昔話だって怖いじゃないですか。そういうものをウォルターさんはちゃんと受け継いでいるんでしょうね。
「『ミッケ!』をマネしたんだろうな」っていう絵本を何度か見たことがあるんですけど、みんな明るいんですよ。ただ明るくて、光と影でいうと「光の部分」だけで作れちゃう感じなんですね。
でも、やっぱり影の濃さが光を出すんで。
ウォルターさんの作る物は、やむにやまれぬ影の部分が出ていて、だからこれだけ続くんだろうなって思っています。子どもはそれを感じているんじゃないかな。
『チャレンジミッケ!10 まほうとふしぎのくに』
大人気「ミッケ!」シリーズ最新刊は、
これまでの『チャレンジミッケ!』とはちょっと違い、
“鏡”や”錯視トリック”を使った不可思議でマジカルな世界が広がります。
文/きたむらじん、写真/五十嵐美弥