『毎日かあさん』『ぼくんち』『女の子ものがたり』など、数々の作品を世に出している漫画家の西原理恵子さん。独特の視点から描かれる子どもや親子の姿に、多くの方が感銘を受けています。
また、小学生限定の新人公募文学賞「12歳の文学賞」の審査員も長らく務めていらっしゃいます。他の先生方とは一味違う選考の視点が毎回話題になっています。
そんな感性を育んだ、小学1年生時代はどんな子どもだったのか、お話をうかがいました。
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■1年生からいきなり居残り
もう1年生から、勉強に乗り遅れてましたね。数字の概念がなかなか分からなくて。足し算引き算がどうのとか、10から上の数字がどうのとか、全く理解できなかった。いきなり居残りさせられたのを覚えてます。
あと、当時住んでいたところが田舎でものすごくすさんだ地域だったんです。親子三代で泥棒だとか、不良がどこかの神社に火をつけたとか、お父さんがお母さんを殴る、お母さんが子どもを殴る、家庭内暴力も当たり前…みたいなところ。クラスの男の子たちもすごく乱暴で、ケモノみたいだったのを覚えてます。
(手元にある『小学一年生』誌面のモデルを見て)自分も含めて、こんな華々しい感じの子は、決していなかったですね(笑)。
■女子グループに入り忘れる惨事
小さい頃からみんなと集団行動ができなくて、想像というか妄想ばっかりしてるような子どもでした。気づいたらボーッとしてて、先生の言うこともちっとも聞いてなかったので後で慌てることが多かったです。
そんな子どもだったので、女子グループに入り忘れるという事態が起きまして。これはわりと惨事でしたね(笑)。女子って早くにグループ化するじゃないですか。気がつくとすでに手遅れで「あ、グループできてるじゃん」みたいな。まあ、かえってすごくイヤなグループに無理矢理いなきゃならないってこともなかったんで、そこはよかったんですけど。
勉強と同じくらい運動も苦手でした。これまた団体競技ができない。例えば大縄跳びなんかやるときは、クラスの男子から「西原いるからダメだな」なんて言われちゃう。なので、自分よりドン臭いやつが先に失敗してくれないかな〜、なんて祈ってました(笑)。
上は見ず、下を探す。これは自然と身についた術で今にも活きてますね。
■人間が柔らかいうちにイヤな目にあっておく
学校は大っ嫌いでしたね。怖くて仕方なかったです。勉強も運動もできなかったし、背が低くてブサイクだったし。 学校って、今も昔も、社会のすべてのストレスの縮図になっているところがありますよね。
私は「学校は行きたくなければ行かなくていい」って考えなので、今の子どもたちも、無理してまで行くことないなって思うんです。他にゆっくりやりたいこと見つけて、それこそもっと大きくなってから、大学で自分のやりたい勉強だけすればいいんじゃないかな。本来、自分の好きなことじゃないと勉強って続かないですからね。
まあ、小学1年生の親御さんは、そのくらいの気持ちでのんびりと構えてみてはどうでしょうかと。出席日数の半分くらい行きゃ、進級させてもらえますから。
ただ、まだ人間が柔らかいうちにイヤな目にあうのも大事なので、学校で多少のイヤな思いはしておいても損はしないと思います。それでもあんなに毎日行く必要はなかったんじゃないかな〜といまだに思うので、まあ、やっぱり半分くらい行っとくか、くらいでいいんじゃないでしょうか(笑)
撮影/黒石あみ(小学館) 取材・文/川辺美奈子
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西原理恵子(さいばら・りえこ):
1964年、高知県生まれ。高校を中退後、大検を経て武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。88年、週刊ヤングサンデー掲載の「ちくろ幼稚園」で漫画家デビュー。数多くの作品を発表し、文藝春秋漫画賞、手塚治虫文化賞短編賞など受賞。11年「毎日かあさん」では日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞する。小学館が主催する「12歳の文学賞」では毎年審査員を務める。娘に伝えたい語りおろし本、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」(KADOKAWA)が発売中。